きっかけはパリのコンフィチュール
私たち夫婦が結婚したのは2001年のこと。
新婚旅行で訪れたパリでアクセサリー店に妻が入りたいがために私に隣にあったお店で時間をつぶしておくように言ったのが全ての始まりでした。
そのお店こそ、そのころパリでブームになってきていたコンフィチュール専門店(コンフィチュール:フランス語でジャムのこと)だったのです。あまりの衝撃に妻を待たせること1時間。30本ものジャムをその場で買って帰ったのでした・・・。
「このような食文化が日本にもあったらいいのに」、その時思ったのはただそのひとことだけでした。
ここからジャムズガーデンは始まりました。
美味しいジャム作りとはどうすればよいのか。
ただひたすら試行錯誤の繰り返しでした。火加減や洗双糖を入れるタイミング、かきまぜる力加減、鍋の大きさ、果実の下処理方法、などなど。数え切れないほど煮込み、数え切れないほど失敗作を作りました。なぜ難しいのか。ある日、私は気付きました。
それは「均一な味」を求めたからだと。
果実のその特徴を生かすため
人間もひとりとして同じ人はいない。
果実も同じです。昨日煮込んだ「いちじく」と今日煮込む「いちじく」は違う。季節の移り変わりとともに果実の風味や水分量も微妙に異なる。また、同じ品種の「いちじく」でも畑の場所でやはり味が違う。それをまったく同じ味にするためにはPH調整剤やゲル化剤、化学調味料、香料、着色料などがどうしても必要となってきます。
そういったものを一切使用しないジャム作りを目指しているのに、画一的な味を求めること自体意味のないことだと気づいたのです。
それからは原材料の果実生産者とかかわり、ジャムにして美味しいと思える旬や栽培方法を共に探し出し、「その果実のその特徴を生かしてあげるように煮込む」ことに集中するようになりました。
果実づくりの盛んな周防大島へ
この日本で、どのような手作りジャム屋をすればよいのか、いろいろと考えアイデアを出していきました。
考え抜いた結果、妻の実家のあるこの瀬戸内の島、周防大島こそ私たちのジャム作りに最適だという結論に達したのでした。ジャムの味を決める最大の要因、それは原材料の果実類です。
その果実類を新鮮なまま身近に手に入れることができる場所、より多くの種類の果実類が栽培されている地域、そして真剣に果実作りに取り組んでいる方がいること。私たちはこの地で精一杯ジャムを作っていくことを誓い、この島にジャム工房を建てたのでした。
46本のいちじくジャム
私たちの原点は46本のいちじくジャムです。
地元の農家の方々に毎朝、その日の早朝に採れた「いちじく」をとどけていただいています。「いちじく」は傷みやすい果実なので朝収穫してすぐに下処理に入らないと味がどんどん落ちていきます。スピードが命のジャムなのです。
「果実の良し悪しがジャムの味を決める大きな要因となる」ということは、つまりジャム作りは農家の方々との共同作業なのです。一番最初に農家の方々との共同作業で完成できたのが「いちじくジャム」だったわけです。
2003年の創業後にいちじくジャムを煮込み、島の道の駅にドキドキしながら初納品したのがつい先日の出来事のように覚えています。
以後、試行錯誤を繰り返し、今のようなジャム屋へと成長してきました。
当店発祥の焼きジャムの誕生
今では当店発祥のオリジナルジャムとして、毎年大人気な「焼きジャム」。テレビ番組「秘密のケンミンショー」でも放送され、今では多くのファンの方がいらっしゃいます。
「瀬戸内のハワイ」を標榜する周防大島に移住した最初の冬「冬はこんなにお客さまが来島しないのか、、、大丈夫だろうか!!!」と追い詰められていたときに試行錯誤して生まれたのがサツマイモを使った『トーストに塗ってからジャムごとオーブンで焼くこの「焼きジャム」シリーズ』でした。
これは道の駅で出会った農家さんの提案から生まれた一品でした。
「焼きジャム」で息を吹き返した私たちはそれから移住者を呼び込む取り組みを始める等、島の活性化を願い、幅広い活動を始めるきっかけにもなりました。
次の20年、そしてその先の未来をつくる
2023年11月3日。 私たち瀬戸内ジャムズガーデンは創業20年目を迎えました。
46本のいちじくジャムから始まり、スタートした瀬戸内ジャムズガーデンでした。大島大橋に貨物船がぶつかり1ヶ月半断水した被災事故があったり、直近ではコロナ禍に打ちのめされたりと、順風満帆で良い事ばかりでは無かった20年ですが、物語には逆境も必要で、今となっては、これはこれでとてもよいご縁を頂いて来たのだなと感じております。
次の20年、そしてその先にある、島の営みが代々引き継がれ続いていく未来、其れこそが今の私たちの願いであり目標です。だからこそ、次の世代に遺していける地域産業創りに邁進してまいります。